よく大将自身が刀を振るう時は、敗北に近いものであるとも聞きますが、この時はどちらも自ら白兵戦をする有様であったようです。しかしながら、白兵戦となれば、武芸の稽古を仏門に入っていた義元自身がどれほどの腕を持っていたかよりも、ここまで押し込まれたことに対して自身の軍団(旗本衆)の崩壊を早めてしまったというべきでしょう。
最終的に、今川家は主君義元を始め、遠江の主要な国人領主の井伊・松井等が戦死したことにより所領が混乱を生んだことと、岡崎城の定番すら逃亡したことにより、松平家に岡崎帰還を許したこと。並びに後を継いだ氏真も、新たに体制を作らなねばならぬこと。
さらにはその混乱で松平家並びに織田家が所領を回復して勢いをつけたのは事実であり、それが後々に尾を引くことになるとは、氏真には思いもつかなかったでしょう。