戦国期の松平氏 その12

 お互いの利害が一致したということで、清洲城に於いて織田・松平氏の同盟が成立しました。
 織田家としては、美濃の斎藤氏に全精力を傾けたいという意向と、概ね勢力が似通っている部分があるので余分な戦力を割きたくないという所と、東側の今川家・将来的には武田家の押さえになればという考えでしょう。
 松平家としては、桶狭間合戦後の親筋である今川家の混乱ぶりによる支援が得れるかが不明な部分。さらに織田家の勢いが予想以上にあったことと所領拡大という観点から見ると、西三河から尾張を窺うより、三河平定の方が実益が大きいのと、組む相手としての将来性等を総合的に判断しというところでしょう。
 無論家臣団の中でも異論があったようですが、その後の混乱ぶりからすると、三河自体は完全に今川領ではないと思える節がありますね。
 清洲同盟により、西三河を早い段階で制圧したことにより、東三河に関しては、今川から派遣されている鵜殿氏や奥平氏・菅沼氏・牧野氏辺りと戦い所領を広げていったようです。
posted by 武将 at 23:47 | 歴史
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