戦国期の徳川氏 その3

 武田・今川・北条の三国同盟に陰りという部分からのスタートですが、同盟当時は各自の後背の安全を保つのと、敵対大名家が別に存在していたこともあり、強固な体制であったと言えます。崩れだすきっかけは勿論今川義元の討死にあると考えられ、それまでの三家のバランスを揺るがす事態に発展していくという具合でした。
 武田家が直面した問題としては、東の関東は北条家が抑えているということ。西は美濃を制圧した勢いの強い織田家。北は川中島で激戦を繰り広げた上杉家。南が当主が弱体化した今川家。要するに、大名家として勢力が鈍化してくると、他の国人領主を繋ぎ止めるのが難しくなるということ、勢力を拡大することにより豪族の連合体である大名家の地位を安定できるということで、北の上杉家には押さえを残して、南進策を図って所領の拡大を目指すという部分で、白羽の矢を立てたのが、三河の徳川家でした。
 徳川家としては、遅かれ早かれ今川家の遠江に侵攻したいところであったので、渡りに船の状況で、所領分割を快諾して徳川・武田による今川家侵攻が始まったのでした。
posted by 武将 at 23:17 | 歴史
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