戦国期の徳川氏 その4

 1568年に、武田家との密約により今川家の所領分割という形で共同作戦を採った徳川家でしたが、調略の巧みさから駿河へ攻め込んだ武田家は早々と攻略に成功しました。徳川家も遠江の今川家の混乱に付け入る形で天竜川までの所領は早くに確保できていましたが、肝心の氏真が立て篭もる掛川城でやや手こずる形になり、ここで開城の条件として将来の氏真の駿河復帰を謳ったとも有り、これが原因かは不明ですが大井川を越えて、所領拡大というべきか、相手の力量を見る為かは分かりませんが、武田家の越境が有った為にそれまでの友好的状況から一変して緊張状態になりました。
 しかし、これはある意味武田家にすれば失敗と言える出来事かもしれません。一時的にせよ、北条・徳川氏による駿河において二方面作戦を強いられており、時間を費やす結果になる羽目になり、その間にも友好状態ではありましたが、織田家は勢力を拡大していくことになっていったのは、将来的に考えるとマイナスであったということです。
posted by 武将 at 22:53 | 歴史
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