戦国期の徳川氏 その6

 前回の話で、今川家を駿河から駆逐した状態で、大井川を境に徳川家と今川家所領を折半した形でしたが、遠江における徳川家の侵攻スピードが思っていたより遅かったのか、掛川城を攻略した際の文言が気に入らなかったかは不明ですが、友好関係にあった徳川家に対して緊張関係に陥る羽目になりました。ただ当時の武田家の国力からすると、徳川家自体の戦力は大きいものでは無いと写ったのでしょう。
 多分、誤算は氏真の奥方の実家筋である北条家が、徳川家が結託して、武田家を牽制に来たのが問題になったのでしょう。徳川家は別として、北条家は関東に基盤がある為、相応の戦力を割くことが出来る大名家であった為、油断ならぬというとこでしょう。無論親が子供が窮地の状態であれば、力を貸したいと言うのが建前ではあるでしょうが、武田家の勢力が伸びるのが面白くないのが現実ではないでしょうか?
posted by 武将 at 00:49 | 歴史
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